NO.5「千曲川スケッチ」

自然主義文学の島崎藤村は「千曲川のスケッチ」で、信州の冬の厳しさを書いている。藤村は川船で飯山を訪れたが、今は川船はない。JR長野駅から飯山線に乗り換え、飯山駅で降りると猛吹雪で先が見えないほどだった。防寒着、手袋、帽子と寒さ対策の完全装備で千曲川まで約1km歩いた。赤い中央橋が目に入る。吹雪でも良く見えるように赤くしたのだろうか。橋の両脇に歩道があり、深い一本道がついている。風雪よけのヨシズが張られているのが、いかにも雪国らしい。人が通るのは通勤、通学時間が多いと聞いて、高校生たちが家路に着く午後3時過ぎ再訪した。時折、うなりをあげて襲う風雪に耐えるかのように、みんな足元だけを見つめ、キュッキュッと雪を踏みしめ黙々と渡っていった。素早く撮影しないと、レンズがあっという間に雪で曇ってしまった。

☆藤村も 描いた冬の 厳しさよ

☆灯篭や 雪帽子 重たかろうに

☆人けなし 雁木通りの 寂しさよ

NO.4「銀山温泉」

山形県尾花沢市銀山温泉は、500年前から銀山で働く鉱夫たちが疲れを癒すために利用していた。今は湯治場としての役目を引き継ぎ、通年、宿泊客でにぎわう。銀山温泉の町並みは大正時代にタイムスリップしたかのような情緒を持つ13軒の宿が銀山川を挟んで建ち並ぶ。温泉一の老舗宿で国登録有形文化財の「能登屋旅館本館」は、1925年ごろに完成した。NHKの人気ドラマ「おしん」の撮影舞台にも使われたように、川沿いのガス灯と共に映画のセットかと思わせる風情がある。山形新幹線の開通、秘湯ブームなどで観光客はこの20年で倍増。女将たちの結束も強く、米国出身の女将もおり、公共広告機構の国際化キャンペーンCMに出たり、様々な工夫をして人気を呼んでいる。
雪に埋もれた銀山温泉を撮影しようと訪れた年は小雪だったが、たまたま撮影に出かける前日から降り始め、積雪も50cm以上になっていた。能登屋の17代女将は宿泊客の部屋を全て訪ねて挨拶する。「昨日までは雪は無かったのですよ。お客さんは運がいいですね」と言われた。暖かいガス灯が点灯すると、大正ロマンが漂う。そんな温泉街の夕景を撮る頃にはまた吹雪になったが、散歩に出てくる宿泊客が沢山いた。

☆吹雪でも ガス灯似合う 老舗の宿

NO.3「オオヒシクイ」(福島潟)

冬の渡り鳥の飛来地は全国に散らばる。ここでは国の天然記念物でもあるオオヒシクイの日本一の越冬地・新潟市の福島潟を紹介する。オオヒシクイは雁の仲間で一番大きいので大雁とも呼ばれる。小林一茶が「今日からは日本の雁ぞ楽に寝よ」と詠んだように、日本人は雁行と共に雁を愛してきました。大雁は羽を広げると160㎝にもなり体重は4.2〜5.8kgもある。
福島潟はヨシ原が多く、ヒシやマコモなどの好物も多く、周辺が田んぼでオオヒシクイには贅沢な環境になっている。2001年には5700羽飛来、年々増え今では1万羽近いという。春になると、北海道のサロベツ原野から樺太方面まで2400㎞以上の大旅行をする。
氷点下の早朝、餌場を探しに飛び立つシーンを撮ろうと観察施設「雁晴れ舎」でカメラを構えた。夜明けと共に、一斉にグワワンと鳴きながら飛び立つ様は生々しく勇壮な光景だった。夕方になると一列の大編隊を組み、グループごとに次から次に帰ってきた。

☆氷割り ねぐら飛び立つ 飛行隊

☆雁行や 夕焼け空に 真一文字

☆白鳥も 大雁も 仲むつまじく

NO.2「知床と流氷」

世界遺産知床半島の冬の魅力は流氷。ロシアのアムール川河口付近や樺太で出来た海氷が例年1月中旬頃に南下して、オホーツク沿岸に着き、やがて知床半島沿岸に到達する。2月から3月にかけて知床岬を回り根室海峡に入り、国後島との間を埋め尽くす。
知床の春の訪れとも言われ、流氷と共にやってくるスケソウダラ漁が始まる。しかし、流氷は風の強さや向き、潮の干満などの自然条件次第で接岸したり離岸する気まぐれ坊やでもある。2006年2月半ば、流氷の「つぶやき」を聞こうと訪れたら、見事な流氷原をウォーキングする人やわずかに開いた海面から海に潜って楽しむダイバーたちが沢山いた。帰京翌日、北海道から届いたニュースは強い西風が吹き、流氷は全て離岸したという。この年は以後、一度も接岸することなく知床は春を迎えたが、流氷も地球温暖化の影響を間違いなく受けている。
流氷を見ようと思ったら、まず、小樽の第一管区海上保安部流氷情報センターが毎日流す「流氷情報」をチェックして出かけるといい。

☆流氷や 春の便りと カモメ啼く (根室海峡羅臼沖から)


☆ダイバーも 押し寄せる 流氷の海 (斜里町・ウトロで)

☆国後から 昇る朝日や 流氷染め (羅臼港から国後島を望む)

エゾシカや 流氷待ちわび 春を待つ

NO.1「かやぶきの里」

雪深い越後の新潟県柏崎市高柳町の「かやぶきの里」には、約20戸のかやぶき屋根の家が1.3㌶の田んぼの周りに、まるで防風林のように立ち並んでいる。環状集落とも呼ばれ、古い農家集落の原型を残し、今なお現役の貴重な遺産である。きれいな雪景色の集落を撮ろうと訪れた時は、雪が中々降らず滞在3日目にやっと降り出し、一夜明けると素晴らしい光景が生まれていた。早朝、雪面に杉の大木の影が延びているのが印象的だった。20戸の内2棟は宿泊もできる交流施設になっており、今、この里は町お起しの主役としてふるさとに貢献している。
大雪でも路面は消雪パイプで雪がとけ、地元では「マンゲ」と呼ぶミノ帽子をすっぽり被った主婦たちが足取りも軽く歩いていた。一晩に何十センチも降る雪には、一昔前までは悩みの種だった。今、除雪の主役は50年も前に誕生した消雪パイプ。道路中央から噴き出る水が、あっという間に雪を解かす。越後ではどんなに雪深い集落にも張りめぐらされ、雪国を活気づかせる源になっている。イグサなどを材料にして織ったマントのようなミノ帽子は雪国の風物詩だったが、便利で手軽な防寒着が次々と生まれ、今ではほとんど姿を消した。わらぶき家屋を町おこしにしているここではまだ使われており、雪にとても合う風情を醸し出している。

新雪や かやぶき屋根も やわらかく

☆ミノ帽子 かやぶきの村に 風情あり